犬猫畜生と分かち合いたいのだ。

 

もどかしいから何か書いてみるか、と思ってブログ始めてみたよ。

 

徒然なるままにひぐらしFacebookにむかひて、心にうつりゆくよしなし事を書きつくっては、いいねやコメントに喜ぶのぼせもんの博多もんの学生だった私が、書くことを随分と長く辞めておったのです。

 

紙媒体で書く文章なんて主観を切り離したものなので性質はかなり違うし、最後まで上手に書けたでもないけど。

 

退職前後からSNSの特定/不特定多数の人に対して何か発信することに臆病になってる。

 

ただここ数日、自分が何を考えてるかを誰かに理解してもらうことの難しさを痛感した。

 

自分の引っ込み思案を恨んで、散らかり放題の頭の中を、言葉にならない気持ちを、記号に託してみん、とす。

 

5月に海の中道海浜公園で今年も開催されたcircle2016の2日目、アンコールで向井秀徳が歌ったkimochiの歌詞が思い出される。(一部抜粋)

 

 

伝達デキン自分にハラが立つ 
生まれ育ったその環境、歴史、思想すべて
ブチ込んで表すことができればいい

意味が分からん言葉で意思の疎通を計りたい

犬猫畜生と分かち合いたいのだ

貴様に 伝えたい 俺のこのキモチを

作詞:MUKAI SHUTOKU

 

誰かと言葉が要らない関係になるのは難しい。言葉が要らない関係になる人と一生涯出会わない人だっていると思う。

 

それは寂しいけど、火の鳥サイバーパンクの世界じゃあるまいし、直接脳内に話しかけるコミュニケーションも気色悪いので丁重に断りたい。

 

目は口ほどにモノを言うとは言っても、そんなの怖すぎ。人の目を見れなくなるよ。

 

ちなみに寡黙な私の父(私は父を草食系でも肉食系でもなく、観葉植物系と分類してる)は、私や母が音声で問いかけてるのに、眉毛やオナラで返事をしてくることがある。言外のコミュニケーションのカタチで、行き着く先まで行ったんだな、と思う。どうかしてるけど。うん

 

とはいえ、私は自分の想いを伝える苦手意識があるので、時折、想いを活字にする練習をしてみようか、ってなわけで始めたわけです。

 

自分を目立ちたがり屋とは思わないけど、人が関心を向けてくれないのはとても寂しいし、呼んだ共感が私を助けてくれることも、あるにはある。

 
ボケた老人さながら私自身の祖母のように過去を回顧したり、構ってちゃんのごとく今置かれてる苦境について語ったり、どうでもいい私のモザイク状にとりとめもない趣味を語ったり、そんな内容ばかりになると思うけど、駄文は駄文らしく、なるべく滑稽に書けたらいいな。
 
てなわけで、へばの!