ピクサー作品が大人になってからもっと好きになったっていうお話。(ファインディング・ドリー篇)
前回の投稿では、インサイド・ヘッドについて熱くなりました。
http://shokoelevatorb2.hatenablog.com/entry/2016/07/17/225548
で、今日はファインディング・ドリーを観てきたわけです。
実は高校卒業してシネコンで映画観るのも3回目という、点で商業映画に疎い私ですが、Tジョイ博多で人混みを掻き分けてファインディング・ドリーをどうして観に行く気になったのか。
トイストーリー3、インサイド・ヘッドで期待値が上がってたんだけど、時間に余裕があったとはいえ、何となく観なきゃと。
俗に言う、ピコーン💡ってヤツですね。
前作でファインディングされたニモと、その父マーリンが、今度は両親をファインディングするために失踪するドリーをファインディングっていうファインディング・ドリー。
オープニングの、幼いドリーと両親の描写ですでに涙腺が緩む。
両親をも忘れていた健忘症のドリーが、ひょんなキッカケで存在を思い出して、記憶の断片を掻き集めながら、両親を求めて求めて旅をする。
両親を探すドリー、そのドリーを探すニモとマーリン。近づいては遠退く両親とドリーとニモとマーリンを繋ぐ役割を担ったキャラクターたち含めて、登場人物たちのことを考えてみる。
ドリー。
忘れっぽいなんてレベルじゃない。
ニモ。
片方の胸ビレが小さいまま育って泳ぐことが苦手。
マーリン。
妻に先立たれてニモを男手一つで育てただけに、当然ニモを失いたくない。だからなのか、神経質なまでに心配性。
彼らの旅を助けてくれる脇役たちは、
人間の子どもに傷つけられて足を一本失ったミズダコの ハンク。
対話に難があってみんなを不安にさせるアビの ベッキー。
エコロケーションが出来なくなった(と思い込んでいた)シロイルカの ベイリー。
徹底的に、何かしら障壁があるキャラクターばかり。
それがすごく象徴的に映る。
ドリーの突破力や人柄に感化されてみんなが障壁をクリアしながら話が進んで行くんだけど、ドリーが辿る自分の幼少の頃が回顧されるその時々の描写に胸が締め付けられる。
両親は幼いドリーの失敗をフォローして、いつだって精一杯愛情を注いでいるんだけど、ドリーも幼心に自分を責めてしまう。
ズキズキしながら、ドリーを応援しながら、その展開を見守って、(さすがディズニーさんなのでもちろん明るい結末なんだけど)最後にはやっぱり救われる。
何様だよって自覚してるけど、到底ありえない展開の連続でも許そう!(笑)
ファンタジックだけど、何かしら難がある個々が信じ合って補い合う。
その描き方が私にとって一番重要で、これから観る人に、そこも注目してほしいな。
あと、八代亜紀が八代亜紀役で声の出演してるとこにも注目してほしい。
アメリカが舞台なのに八代亜紀wwwってなるから。
ジブリとピクサーは、子どもの頃と大人になってからとで得る感想が違う作品が多くていいよね。
アニメは子どもだけのものじゃない。
熱く語ったれ!
そいぎ!