読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

だから私は人間の形をし 幸せについて語りさえしたのだ

 

6月の後悔。

 

せっかく谷川俊太郎が福岡に来て各所にイベントが開かれてたのに、体調崩したしでお目にかかれなかったこと。

 

たぶん、はじめて谷川俊太郎の詩を認識したのは、いつぞやのネスカフェのCM。

 

これで朝のリレーを知った。

https://m.youtube.com/watch?list=PL12CDD155E871767D&v=2GYBc1X8SU8

 

それはあなたの送った朝を

誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

 

あぁ、愛おしい。

 

そんな私は今日は眠らないまま

朝を迎えたわけだが!!!

 

 

そのあと中学2年のとき、合唱コンクールで、「春に」を歌った。

 

心のダムにせきとめられ

よどみ渦まきせめぎあい

いまあふれようとする

この気もちはなんだろう

 

 

さっき、ふと、

Apple musicでHALCALI懐かしいなー

って見てたら

芝生 feat. 谷川俊太郎 なる曲を発見。

 

HALCALIと言えば、

夏休みに一人きりの家でいつもスペシャ見てたんだけど、

そのころはいつもHALCALIのギリギリ・サーフライダーが流れてた。

 

だから、HALCALIとくると思い出すのは夏休み。

 

とはいえ、芝生はノーチェックだったな。

 

聴いてみたらじーんときたので、歌詞載せておきますわい。

 

今からでも少し寝ましょうかね。

 

臆、私の生活リズム・・・。

 

ラララ・・・

 

地球なんて

どこにも見えない

あるのはこのありふれた

このDay Lightが

照らすストーリーの数々

ある夏の終わり

グリーンな芝生の上

いつどこから

来たかは分からず立つ

立ちつくし美しい

グリーンを見る

純粋な眼となり

芝生の上に立つ夏

はるか彼方の風景から

この体まで続く自然

それは皮膚を通り抜け

ありとあらゆる細胞まで届く

突然そんな理解

眉間を光のように走る真昼

クリーンなグリーンを濡らし降る雨は

遠い未来のCGみたい

 

雨上がり樹々が光り

去り行く黒いくもり

何かがふいにきらり

芝生の上にひとり

小鳥そばにひらり

いない私のとなり

音となりて視界

心となるなり

見渡す限りGreen&Green&Green

体を駆けるSweet Mystery

このグリーンに意味あり

行きなさい

鳥となり空に舞い

言葉を拒むGreen&Green&Green

体を溶かすDays of Melody

このグリーンに意味なし

あるようにある

すべての色と同じ

なにも知らぬことを知ることで

孤独はむしろ消え去る

季節はなすがままに流れ

枯れゆく樹々に見る

過ぎ去りし日々

歴史は決してくり返さず

聴こうとする意思に耳すま

明日は明日で

何も足し引きできず

明日としての今日をなす夏

見渡す限りGreen&Green&Green
体を駆けるSweet Mystery

このグリーンに意味あり

行きなさい
鳥となり空に舞い
言葉を拒むGreen&Green&Green
体を溶かすDays of Melody

このグリーンに意味なし
あるようにある
すべての色と同じ

フィルムは何も焼きつけず

ひるむこともなく

風車のように

回しまわされ巻き上げる風

カメラは気まぐれ

急に夕暮れ

私は街に立っている

あの芝生は消え通りに人…人…

成長を止めた

ビルたちの足元に

Flowする遠いボーイフレンド

いとしいSweetを想う夜の

Bitterに似た感情は海

浮足立って走り出すこれが幻でもどうでもいい

苛立つクラクションを後方に

頬に風受け車分け駆ける

不意に何かに似る

身に覚えのない殺意のような

いわゆるミサイル

 

(『そして私はいつか

どこかから来て不意に

この芝生の上に立っていた)

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた)

(だから私は人間の形をし

幸せについて

語りさえしたのだ』)

 

ラララ・・・

 

歌詞:谷川俊太郎・SUPANOVA

 

 

音樂ノススメ

音樂ノススメ

 

 

さとにきたらええやん

 

1年留年して大学を卒業して2年目だけど、学生に混じって大学のゼミ関連のイベントにひょっこり顔を出して、自分から言わない限り知らない年上の方々からはまだ学生と思ってもらえる。

 

まだまだ若いのだ、と少し自信を取り戻した(キリッ

 

ピチピチ so フレッシュ!

 

しかしながら、先週体調崩してずっと寝てたから完全に体内時計の針が90度傾いててフルパワーというわけにもいかず。

 

狂った体内時計のせいで全然安眠できなかったけど、頑張って身体起こして、映画「さとにきたらええやん」を観にkbcシネマに行ってきた。

https://filmarks.com/detail/67442

 

大阪市西成区と言えば、釜ヶ崎。通称、あいりん地区。

 

行ったことないけど、ホームレスや生活保護受給者も多くて治安も悪い、社会的にはそのイメージが強いのかな、と。

 

この映画の被写体は、釜ヶ崎にある、地域子育て支援事業と留守家庭児童対策事業、ファミリーホームを兼ねた施設「こどもの里」を拠り所にした、地域のいわゆるワケありな子どもたち。と、彼らの周囲の大人たち。

 

だいすきな松本大洋の漫画「Sunny」の星の子学園と重なったので後で読み返したい。

 

親の事情でこどもの里に預けられた子どもたちの中には、知的障害を持っている子、耳が聴こえない子も。

 

フィルムの中で時に家族や社会に適応出来ずに苦悶する彼らだけど、無邪気に明るい笑顔をたくさん見せてくれるわけ。

 

彼らは私よりもっとツラい境遇でも、全力で生きていて、成長した姿を見せてくれる。

 

社会はしんどい。

 

理不尽なことばかりだと思うこともたくさんある。

 

ありすぎるくらいにある。

 

かねがねそう思ってきたし、この映画の中でも胸を締め付けられるような場面がある。

 

けど、不条理の中にも少なからず希望があるということを教えてくれる良いドキュメンタリー映画でした◎

 

みなさんも是非◎

 

 

今年になって、新年にまず想田和弘監督の「牡蠣工場」にはじまって、ここ最近も森達也監督の「FAKE」を観たけど、やっぱり商業映画よりドキュメンタリー映画が好きだなって再確認した今日この頃。(ある意味、流行りに疎いといえばそうなんやけどw)

 

ドキュメンタリー映画の多くは、劇映画みたいにベストカットが取れるまで何度でも、という訳にいかない中に創意工夫があって、示唆に富んでいて。

 

観終わった後に誰かと感想を共有するときに議論になることがあるのもまた面白い。

 

森達也監督は、報道の中で何かと二分論で物事を伝えられがちであることを危惧していて、ドキュメンタリーはその両極の間で四捨五入されたグラデーションの部分を伝えられるのだ、ということを話されていた。

 

確かにそうかも。

 

善と悪、敵と味方、正と誤、是と非、白と黒・・・。

 

その両者の間にはグレーゾーンやグラデーションは確かにあって、世界はワントーンでもツートーンでもない。

 

一見してみんなと同じように振る舞って見えるクラスメイトたちが、実はクリスチャンだ、とか、実は発達障害で伸び悩んでる、とか、実は明るい顔して家庭が崩壊してる、とか、そんなことが今まで身近にあったように。

 

社会なんて、組織なんて、多様な個がモザイク状に集まってるだけなんだと思う。

 

それが、ひとつの結論にみんな雪崩れ込むことなんてそもそもありえない。

 

しかも、組織は時として過ちを起こす。

 

「悪の凡庸」のようなことも大小様々にそこらじゅうにある。

 

 

 

「個性的だよね」って言われるとちょっと嬉し恥ずかし、水瓶座でのぼせもんの私やけど、最近、「なにそれ、みんな違う人間やろ」って思うようになった。

 

だって、あなたはわたしじゃないし、わたしだってあなたじゃない。

 

自分を見失ないかけてふさぐこともあるし、自分が何者で何を感じて何を考えてるのかを語るのも苦手やけど、確かに自分は他の何者でもないと思う。

 

わたしという人は、わたししかいないんだよなぁ。

 

そんな当たり前のことをぼんやり思いながら、将来の身の振り方に悩んでいるわけですが。ぐぬぬ

 

上手いこと仕事できるように完全復帰してお腹いっぱい映画観たいな。

 

うぅ、お金・・・。(゚´ω`゚)。

 

でも、kbcシネマのスタンプ集めてて貯まったから1回サービスで観れるので、大喜びで映画観に行きたい。

 

ふたりの桃源郷か、はたまた裸足の季節か、いつも観たい映画が多くて悩ましい。

 

ミニシアター系は上映期間短いわ、DVDにならないまま終わる作品多いわで困りましたな。

 

今日、まだ若いんだから!ってだけで、「福岡にミニシアター作ってよ!」と映画関係者の方々に言われた。

 

うぅ、難しすぎる要求であるよ・・・。

 

福岡はやっぱり、ハコ・宿泊施設・映画館が圧倒的に足りてないよな。

 

ミニシアター系は特に、映画の量に対してスクリーンが少なすぎる。

 

だから、いや私なんかには無理ですよとはもちろん言っちゃうけど、確かに作れるなら作りたいなとも思った。

 

もし誰かが手をあげてくれたら関わりたいな。

 

うーん。妄想のレベルである。

 

出来ても上映会だな。うん。

 

誰か!作ってくれませんか!(笑)

 

他力本願。神様仏様。

 

そんな映画のお話でした◎

 

 

Sunny 6 (IKKI COMIX)

Sunny 6 (IKKI COMIX)

 

 

 

 

A [DVD]

A [DVD]

 

 

 

観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること

観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること

 

 

悶えてなりと加勢せねば

 

熱さまシートがいつも助けてくれる。

お徳用の箱が何時だって冷蔵庫でスタンバイしてる、ああ、熱さまシート様。

 

昨日、熱出して夜まで寝込んでたら眠れなくなって、べてるの家の関連書籍を読んでた。

http://bethel-net.jp/?page_id=9

 

いつかべてるの家を訪ねてみたいな。

 

精神障害の当事者ってどんな?と言えば、(リアリティの程はどうなのかとは思うけど)映画「クワイエットルームにようこそ」が思い出される。

 

摂食障害の少女に扮した若かりし蒼井優の痩せ細った身体や、大竹しのぶ演じるシャブ歴アリの新入り患者イジメの常習犯、などなど、出てくる配役の誰もが強烈。

 

主人公の、内田有紀演じる明日香は、家族や元夫に先立たれ、風俗を経験した後にライターとして活躍するんだけど、仕事のスランプも相まって不眠症の治療薬でオーバードースして倒れ、緊急搬送。

自殺したかった訳ではなかったのに自殺志願者とみなされて、閉鎖病棟=クワイエットルームに放り込まれてしまう。

 

これは作り話だしコメディなんだ、と割り切れるんだけど、つい、精神病患者像を思い浮かべようとするとこの映画が浮かんできてしまうけん、いかんね。

 

通院で済んでるものの親子で仲良く心の病気を罹患してる訳なんで全くの他人事ではないんだけども。

つらいことを環境や社会のせいにしてルサンチマンに溺れがちな似た者親子です。

 

wiki先輩曰く、

ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことを言う。

(中略)

ルサンチマンの表れの例として、敵を想定し、その対比として自己の正当性を主張するイデオロギーにある。こういったイデオロギーは、敵が悪の元凶とし、だから反対に自分は道徳的に優れていると主張する。「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」ということになる。

敵として想定される存在は、自分が無力だと感じさせる対象が選ばれる。例えば、貧しさに無力を感じるルサンチマンの敵は資本家や大企業となる。

 

・・・うむ。気を付けたい。

 

とはいえ、自分と社会の間に何かしらの摩擦はどうしようもなく起こるしいろんな障壁があるのだ。

 

陸上競技でハードル走のことを「障害」と呼ぶみたいに、障害それ自体は障碍者のスペックのことではないんだなぁと最近じわじわ感じる。

 

ところで、大学時代にゼミで水俣病について触れて、親から聞くところによるとどうやら私の曽祖父が加害企業のチッソで研究員をしていたらしく、やっぱり思うところがあるので、卒業したあとも水俣市に足を運んでみたりする。

 

高度経済成長期に国がどんどこどんどこチッソに化学製品を作らせて、垂れ流した廃液で多くの人をメチル水銀中毒に陥れて、未来永劫社会に遺恨を残す事件になったわけだけど。

 

水俣病認定の問題の度に、患者たちに向かって「そんなに金が欲しいか」と酷い言葉を浴びせる人たちがいると聞く。

 

んなわけなかろうが、って言いたくなる。

謝罪の言葉も、補償も、彼らを救えるわけないのだから。

 

「悶えてなりと加勢せねば」。

 

『苦海浄土』の著者石牟礼道子の言う「悶え神」になれ、と命令口調では言わないまでも、公害によって生涯に渡って、社会が生み出した苦しみを代わりに背負う彼らに、少しでも寛大になれんとかいな。

 

不自由が公害によるものであってもなくても、後天性でも先天性でも、障碍者を侮蔑する人たちとはお友達にはなりたくないね。べー。

 

懐かしの母校は、(今はもうなくなっちゃったけど)福祉コースもあって、同学年全体の一割くらい心身に何かしら障壁のある同級生たちがいて多様性に富んだ良い高校だったなって思う。

 

教育の現場って、健常者と障碍者の二分化がされがちだと思うけど、グレーゾーンにいる学生は当然たくさんいるんだから。

 

多様性を認められない、異物を排除したい日本人的な思想は本当に怖いね。

 

なので、津久井やまゆり園の殺傷事件が私にはショック過ぎる。

 

福祉施設の労働環境や賃金のことを思うとそれはそれでしんどいんだろうけど、それにしても、むごすぎやしませんか。

 

これを、「労働市場の問題」とか、「セキュリティの問題」とかで片付けてほしくないな。

「業が深いからこいつァ死刑だ!」みたいな話も御免です。死なれても解決しません。

 

 

「悶えてなりと加勢せねば」。

 

うん。良い言葉だ。

 

一緒に悶えられる人でいよう。

 

そいぎ!

 

内部からくさる桃

 

最近ベッドで過ごす時間が長いので

散らかりホーダイの枕元。

 

f:id:shokoelevetorb2:20160726041939j:image

 

本は読了してるものほとんどないってくらい全部ちょびっとずつ読んでる。

 

当然、どんな話だっけ?ってわからなくなって少し遡って読むから、3歩進んで2歩下がる、さながら水前寺清子流です。

 

漫画はばばばばーっと読めるのに。

 

長文読むの苦手で、目で文字をなぞるのに頭が追いつかなくて。

活字を読むことの苦手意識がいつまで経っても克服できない。

 

絵本すら読めないで、10歳くらいまで愛読書はいつも図鑑だった。

それは動物、恐竜、昆虫、魚、鳥などなど。

学名とか分布まで覚えてるものもあったくらい。

 

このままじゃまずいな、とはずっと思いつつも未だに読書苦手で、だけど、頑張って読むよ!ウー!ハーッ!

 

適応障害を患ってしまったけん、皮肉にも時間がたくさん出来たし、今こそ。

 

 

そんで、最近のお気に入りは谷川俊太郎茨木のり子詩集。

買ってよかった。

 

ひとびとは探索しなければならない
山師のように 執拗に

〈埋没されてあるもの〉を
ひとりにだけふさわしく用意された
〈生の意味〉を

(「内部からくさる桃」より抜粋)

 

「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」あたりしか知らなかったけど、詩集の中に私が欲しかった言葉がたくさんあった。

 

何のために働いて何のために生きてるのか、生きるために働くのか、働くことに生きるのか、考え出すとすぐ迷子になるし、聞かせてくれと言われれば戸惑う。

 

わたしだけにふさわしく用意された

〈生の意味〉を

焦らずじっくり探させてほしい。

 

最後に全文をご紹介して、おやすみなさい〜。

 

「内部からくさる桃」

    茨木のり子

 

単調なくらしに耐えること

雨だれのように単調な……

 

恋人どうしのキスを

こころして成熟させること

一生を賭けても食べ飽きない

おいしい南の果物のように

 

禿鷹の闘争心を見えないものに挑むこと

つねにつねにしりもちをつきながら

 

ひとびとは

怒りの火薬をしめらせてはならない

まことに自己の名において立つ日のために

 

ひとびとは盗まなければならない

恒星と恒星の間に光る友情の秘伝を

 

ひとびとは探索しなければならない

山師のように 執拗に

 

〈埋没されてあるもの〉を

ひとりにだけふさわしく用意された

〈生の意味〉を

 

それらはたぶん

おそろしいものを含んでいるだろう

酩酊の銃を取るよりはるかに!

 

耐えきれず人は攫む

贋金をつかむように

むなしく流通するものを攫む

 

内部からいつも腐ってくる桃、平和

 

日々に失格し

日々に脱落する悪たれによって

世界は

壊滅の夢にさらされてやまない。

 

 

捨てられ船

 

ポケモン ルビー・サファイアのすてられぶね(のちのポケモンORASシーキンセツ含めて)ってなんか良いよね。

たくさんのお宝が落ちてるし、意味深なストーリーにくすぐられる。

 

 

ところで今回は、小さい頃から私は「私」だったり、「私」じゃなかったりするというお話です。

 

今日は掛かりつけの心療内科で、POINTS OF YOUやってもらいました。

http://poyjapan.com/aboutpoyj

 

トランプみたいに伏せたカードからランダムに一枚引く。

引いたカードを伏せたまま先生に返す。

 

先生が付箋を一枚貼って、表向きにする

 

表を向けると、風のない海の端で横たわる船、横に座り込んだ男性2人の写真。

 

どういう状況に見える?

船はなんで横たわってる?

2人はどんな話してる?

そこから何を感じる?

 

風の無い穏やかな海だと思った。

船は事故で傾いて打ち上げられたと答えた。

管制塔の指示が届かないで操縦を誤ったんだろう、と。

 

そんな問答の後に先生が付箋を外して、そこに書いてあったのは「BALANCE」の文字だった。

 

あなたはどこからこの状況を眺めてますか?

 

その場にいる気がしません。

スマホの画面とか、何か越しに外側から見ているような、そんな感じです。

 

そんなやりとりだった。

 

きっと私こそがその船だ、と思ってただろうに。

 

 

「私」を主語にして話すとき、なんとなく居心地が悪い。

自分の置かれたシチュエーションも、なんとなくいつも斜め後ろから眺めてる感じがする。

 

「あたし」「うち」とか、自分の名前以外(高校生のときとか苗字が一人称だったけど)いろいろ試した。

一応無難な「私」に落ち着いて、正確には、「私」と意識して言ってる。

でも、うっかり一人称を「自分」って言いがち。

 

「私は、こう思います」「私は、」「わたs」って言う度、本当は内心ギクシャクしてる。

目線をどこにやったらいいかいつも戸惑う。

 

「あれ?もっとウキウキしてもいいはずなのに。」「なんでだろう、何となく楽しみじゃないな。」って感じることがある。

 

それは好きな映画をこれから観るぞ、久しぶりに彼氏に会うぞ、とかシチュエーションは様々で、その感覚は結果的に悪い予感だったということもあるにはある。

 

小学生のときから驚かされたりサプライズされたりしても甲斐がないとも言われた。

物陰で待ち伏せて驚かせようとしてきた人たちにはたいへん申し訳ないリアクションの薄さw

 

「そんなことされたのに、何で怒らないの?」「それ、悲しくないの?」「悔しくないの?」とか言われたことも何度かある。

 

その時に出なかった涙が、夜ひとりになって溢れてくるときもある。

 

先生が言うには、そのとき自分の感情が自分のものとして感じられなかったとしても、悲しみや怒りは実は溜まっているらしい。

 

何かに直面したときアクションするために、その時を知らせるために感情はあるらしい。

 

割と淡白で、感情がフラットだと自分では思ってたんだけど、どうやら違ったらしい。

 

な〜んだ、そうかそうか!感情の処理が上手く出来てなかっただけか〜〜!ガッテンガッテン!

 

なんてトボけているわけにいかない。

 

たまに無意識に「自分」って一人称でも二人称でも使ってしまうけど(人称っつーか、再帰代名詞じゃんって話なんだけど)、「私」っていうほど主体性が無い現れなのかもしれない。

 

高校生のとき太宰治の『人間失格』を初めて読んで、父の手帳に「シシマイ」と書いた葉蔵に自分が重なった。

 

父の顔色を窺った葉蔵が、シシマイが欲しいとこっそり伝えるわけだけど、それは本心ではない。

 

私はと言うと、家庭の事情で週末にしか会えない父親が、何かを清算するように不器用なりにおもちゃだけは惜しみなく買ってくれていた。

 

そう欲しくもないのに父親に「最近欲しいものないと?」と尋ねられたときのために「欲しいおもちゃ」をいつも探してた。

 

父の住んでいたかつての実家に向かう車の中でそんなやりとりをして、そのまま笹丘ダイエーに寄り道して買ってもらうというのが金曜の夜の月例行事。

 

鍵っ子の一人っ子だったし、大体いつも一人でプレイできるゲームをお願いしてた。(どうぶつの森ポケモンなどは結果的に大人になっても好きなんだけどw)

 

だから、『人間失格』を読んだら自分のことが書かれてると思った。

 

葉蔵と私は、本当はどうしてほしかったんだろう。

 

私は何を感じて、何をしたいのか、船には優秀な航海士が乗ってなかったのかもしれない。

 

 

この横たわった船・・・、これからどうしますか?

 

新しい船に乗り換えます。

 

 

どうか、進水できますように。

蒼氓

 

山下達郎の曲を聴いて泣いてる24歳の女性がいた?

たぶんそれ、私です。

 

昨日、某ゼミの先輩の誘いで日帰りキャンプに出かけて、東山魁夷の絵のような若杉山を望む篠栗の自然に飛び込んで、ふと、いつぞやのJACCSカードのTVCMが思い出された。

 

私史上一番テレビっ子だった小学生の頃、テレビ番組よりCM眺めてるのが好きで、その中でもJACCSカードの当時のCMは今も時々思い出される。

 

村上淳や、松田龍平、その他味わい深い俳優陣と、山下達郎の曲。

https://m.youtube.com/watch?v=ChqpgaZlSJA

 

山下達郎が楽曲提供していた中で特に「蒼氓」がたまらなく好きで、あの頃はCMの意味も歌詞の意味もわからなかったけど、私もわかる年になったのだなあ、と思う今日この頃。

うーん。レミニセンス。

 

この前、ベスト盤(OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜)買ったんだけど、歌詞カードの解説によると、「蒼氓」は山下達郎が父になったとき心情を歌っているとのこと。

 

f:id:shokoelevetorb2:20160720020059j:image

 

 

私も名も無き蒼氓で、野心を持たない、一芸にも秀でていない、身体も強くない、何も出来ない、替えが利く存在かもしれないとさえ思う。

 

会社で、求められるがままに無理くり将来のビジョンを考えようとしてショートしたわけだけど、そんなとき、この曲に慰められる。

 

人生の目的が明確な人、おったら手ぇ上げてー!

 

手を上げられない私やけど、生き続けることの意味を探す人生ではいかんとかいな。

会社のために生きる、みたいな生き方やら性に合っとらん。

何のために今生きとーとかって言われると、それはまだわからん。

今のところ死んどらんけん生きとーとたい、としか。

 

ただ、ある日ある時何かと出会って、忘れた頃にそれに救われることがある。

その出会いは人だったり、音楽だったり、漫画だったり、いろいろあるけど。

 

生きててよかった、って思わせられるような小さなイベントがある日ある時突然起きるから、そのいつ起きるかわからないイベントのために生きてるのかもしれない。

 

「蒼氓」聴いてはじわっと涙する24歳の独り言でした。

 

「蒼氓」

 

遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届く様に


凍りついた夜には

ささやかな愛の歌を

吹きすさんだ風に怯え

くじけそうな心へと

泣かないで この道は

未来へと続いている

 

限りない命のすきまを

やさしさは流れて行くもの

生き続けることの意味

誰よりも望んでいたい

 

さみしさは琥珀となり

ひそやかに輝き出す

 

憧れや名誉はいらない

華やかな夢も欲しくない

生き続けることの意味

それだけを待ち望んでいたい

To find out the truth of life!

 

たそがれが降りて来る

歌声が聴こえてくる・・・

 

La La La La・・・

 

作詞 作曲:TATSURO YAMASHITA

 

 

ピクサー作品が大人になってからもっと好きになったっていうお話。(ファインディング・ドリー篇)

 

前回の投稿では、インサイド・ヘッドについて熱くなりました。

http://shokoelevatorb2.hatenablog.com/entry/2016/07/17/225548

 

で、今日はファインディング・ドリーを観てきたわけです。

 

実は高校卒業してシネコンで映画観るのも3回目という、点で商業映画に疎い私ですが、Tジョイ博多で人混みを掻き分けてファインディング・ドリーをどうして観に行く気になったのか。

 

トイストーリー3、インサイド・ヘッドで期待値が上がってたんだけど、時間に余裕があったとはいえ、何となく観なきゃと。

俗に言う、ピコーン💡ってヤツですね。

 

前作でファインディングされたニモと、その父マーリンが、今度は両親をファインディングするために失踪するドリーをファインディングっていうファインディング・ドリー

 

オープニングの、幼いドリーと両親の描写ですでに涙腺が緩む。

 

両親をも忘れていた健忘症のドリーが、ひょんなキッカケで存在を思い出して、記憶の断片を掻き集めながら、両親を求めて求めて旅をする。

 

両親を探すドリー、そのドリーを探すニモとマーリン。近づいては遠退く両親とドリーとニモとマーリンを繋ぐ役割を担ったキャラクターたち含めて、登場人物たちのことを考えてみる。

 

ドリー。

忘れっぽいなんてレベルじゃない。

 

ニモ。

片方の胸ビレが小さいまま育って泳ぐことが苦手。

 

マーリン。

妻に先立たれてニモを男手一つで育てただけに、当然ニモを失いたくない。だからなのか、神経質なまでに心配性。

 

彼らの旅を助けてくれる脇役たちは、

人間の子どもに傷つけられて足を一本失ったミズダコの ハンク。

対話に難があってみんなを不安にさせるアビの ベッキー

弱視ジンベエザメの デスティニー。

エコロケーションが出来なくなった(と思い込んでいた)シロイルカの ベイリー。

 

徹底的に、何かしら障壁があるキャラクターばかり。

それがすごく象徴的に映る。

 

ドリーの突破力や人柄に感化されてみんなが障壁をクリアしながら話が進んで行くんだけど、ドリーが辿る自分の幼少の頃が回顧されるその時々の描写に胸が締め付けられる。

 

両親は幼いドリーの失敗をフォローして、いつだって精一杯愛情を注いでいるんだけど、ドリーも幼心に自分を責めてしまう。

 

ズキズキしながら、ドリーを応援しながら、その展開を見守って、(さすがディズニーさんなのでもちろん明るい結末なんだけど)最後にはやっぱり救われる。

 

何様だよって自覚してるけど、到底ありえない展開の連続でも許そう!(笑)

 

ファンタジックだけど、何かしら難がある個々が信じ合って補い合う。

その描き方が私にとって一番重要で、これから観る人に、そこも注目してほしいな。

 

あと、八代亜紀八代亜紀役で声の出演してるとこにも注目してほしい。

アメリカが舞台なのに八代亜紀wwwってなるから。

 

ジブリピクサーは、子どもの頃と大人になってからとで得る感想が違う作品が多くていいよね。

アニメは子どもだけのものじゃない。

 

ジブリピクサーをつまみにお酒飲みましょう。

熱く語ったれ!

 

そいぎ!