そして、はみ出す。
「はみ出す」という言葉が最近お気に入りです。ふぁぼふぁぼ。
早速2回目の投稿かよ、そのうちすぐ失速するんじゃねえの、すぐネタ尽きちゃうんじゃねえの、って感じですよね。
前回の投稿で述べたように混沌とした脳内の整理整頓を図りたい、と何故思ったのかのお話です。
転職して3ヶ月目にしてものの見事にポキってなりました。
はみ出しました。残念ながら、適応障害になったそう。私。
割りかし自分でも感情がフラットだと思ってたけどどうしようもなく涙が出る今日この頃。
初めのうちは、「涙なんて流しちゃって喜怒哀楽に起伏が出てきたじゃん!人間臭くて情緒的〜!年のせいかな!ひひひ!」とか思ってた。
適応障害はまだありがたいことに治るんだなー、これが。
とはいえ、闘病中です。
簡単に言えば、ストレスの要因と距離を置くことが適応障害の治療、距離を置いても症状が治まらないのが鬱病。
症状は人それぞれで、私の場合、
めまい・耳鳴り・耳の痛み・頭痛・腹痛・情緒不安定・記憶力の低下・注意力の欠如・手の震えなどなど。
血圧計の中に両ふくらはぎを突っ込んだような感覚で、ぐー・・・っと圧迫された感覚の中でドクドクと脈打つ。
買い物に行ったら「あれ?何買うんだっけ?」。
会社でパソコンで作業してたら、視界が捻れてグニャり。
けど、不思議なことに、親しい人とプライベートで同じ時間を過ごすとなるとたちまちツラさを忘れる鳥頭。
だからこそ適応障害は理解されにくいらしい。
転職して、新しい環境・新しい仕事になじむのは容易いことではないことはわかってた。
何事も自転車のようで、スピードに乗るまでペダルは重い。
その中で、私が数年悶々としてきた「将来のビジョン」を会社で詰められることになる。
いついつまでに具体的なビジョンを話して聞かせて、とお尻を決められても、それまでに納得させられる目標を見つけられなかった。
そして「約束が守れない人」「自分の考えを語れない人」になった。
思い返したら、ただでさえそんな6月は鬱屈としていて、貴重な土日を発熱で棒に振ったり、雨で出掛ける気持ちにもなれなかったり、家と会社の往復で次第に心も閉じた。
どんな言葉をかけられても否定的に聞こえるようになってからが最終段階。
自分は無価値なんだ。
そこからが、下り坂。
ブレーキいっぱい握りしめても、ゆずの名曲みたいに自転車はゆっくりゆっくり下ってはいかない。
つか、この曲聴くと、危ないからブレーキ修理しろよって思うよね。
そんなこんなで、はみ出しました。
退職するなり休職するなり、原因から遠ざからないといけないということで、とりあえず休む方向で、はみ出しましたまま宙ぶらりんです。
毎日苦痛だと話した人たちに適応障害になってましたと報告する中で、ある人に「当事者研究」を薦められた。
これだけがきっかけじゃないけど、
向き合うことで、少しは苦痛も浮かばれるかな?自分/他者に何らかの還元ができるかな?
ってなわけで、とりあえず頭の中身を書き起こそうと思ってはてなブログを始めた訳です。
「熱意が感じられない」「頑張ったのかどうかは他者が評価・判断すること」と言われたことが頭を支配していた。
よく、鬱病患者やツライ境遇の人に「頑張れ」と言ってはいけないと言う。
これはちょっと説明が足りないと思うけど、意味がわかった気がした。
お猪口に一合瓶の清酒が入らないように、それぞれにそれぞれのキャパシティがある。
もちろん、お猪口やけんそげんたくさんは入らんったい!って居直ってもいけない。
私の評価のために、私のビジョンを叶えるために、その為の段取りを組むために、何度もビジョンを詰められたわけだけど、どうしても見つけられなかった。
ビジョンが見つからないもどかしさと、焦りと、失望させたという気持ちを拗らせたら、身体と心は表裏一体だった。
私はまだまだお猪口ですって、ー降参するのではなくてー、ちゃんと理解してもらうためのコミュニケーションが欠けてたのかな。
転職してみると、淡水魚が海に放たれた感もあるにはあった。
そして、もちろん浸透圧。
私がサケじゃなかったなら、イトウ?(そんな大物だとは思えないんだけどw)
海水が合わないんだったら淡水を求めて登るしかないですね
三┗(┓卍^o^)卍
ブログ始めたキッカケをつらつら書いたけど、陰険な闘病記にするつもりないから!
てなわけで、おやすみなさい!